saw-mayの日記

ひとりごとを吐き出すだけ

君たち!後楽園遊園地で僕と握手!

ラクーアが出来る前は野外ステージで、ひとしきり怪人が暴れたあと『待て!』といってジェットコースターの先頭車両にそのシーズンのレッドが仁王立ちで乗って現れるのが恒例でしたね(20年以上前の話)
今じゃ考えられない凄い演出でしたが、ヒーローショーというものはテレビ演出と違った演出が子供を飽きさせず楽しませてもらったものです
今は雨の日でも公演可能なGロッソが出来ましたが昔と大きく違うのはワイヤーアクション

頭上を戦隊ヒーローが飛ぶんですよ!

あとはレッドが入場の際握手してくれます
大人は手を伸ばさないとしてくれません

で、気になる部分
決して批判とかではないんですそれだけ前置きを…

アクション用とまた中の人違うのかわかりませんが、自分がいくとき高確率でスーツがぶかぶか

オーダーメイドってわけにいかないから仕方ないかもしれないけれど毎回近くで見る分気になってしまう
あと、姿勢が悪い
子供に視線合わせようとしてくれてるからかもしれないけれど、ぶかぶかで姿勢悪いからだらしなく見えてしまう…

舞台に立たなくても人目につく時点でアクションとかなくてもなるべくかっこよく見えるように頑張ってほしいなーと自分なんかだと思ってしまう
マチュア劇団とかだと舞台講演の注意や物販でのやりとりなんかも演出として取り入れていることが多いので溶け込みやすい工夫がなされていてただ芝居が巧くて顔が整ってる有名人が出てるものより個人的には好き
折角作り込んできたなら舞台上だけで完結させてしまうのは勿体ないと思う

ヒーローショーは話自体はシンプルなのに注意散漫な子供を飽きさせない工夫がなされていてとても勉強になると思う

やっぱヒーローもの描きたい
直接戦ったりしなくてもいいけれど、観た人に活力与えられるようなものつくりたい
色々描いて見て、なるべく消化不良にならないことと主人公の未来をなるべく明るく示せるようなオチのつけかたを意識したものが最近増えた
凝ったギミックよりもわかりやすさ重視
子供が観てなんとなく面白い、かっこいいとかじゃなくて内容も面白いって思われるようなの描きたい
シナリオで振り向かせたい

という欲望丸出しな久々のブログでした

普通であること

全然ブログ描いてなかった…
外出自粛でPCに向かう時間はあるのですが、如何せんモチベが上がらない…
私の楽しみなんて観る演る含めほぼライブだったのでライブハウスが大打撃を受けている現状は辛いです
早く普通の日常に戻らないかな?

と思いつつ普通とはなんぞや?と問われると結構定義が曖昧で十人十色でまるで占い師の言葉の如く『無難』な多数派を指している気がする
『そこは~でしょ普通』みたいに使ったことは誰しもあるはず
『普通』って正しいのか?
『普通』って偉いのか?
そもそも『普通』ってなんだ?

これを考える機会ってそうそうない
考えるときってせいぜい対になるものが現れた瞬間くらいで
全く同じ人間、ものなどないのだから『普通』って決してイコールではない
『普通』って便利そうでかなり大雑把な言葉のように思う

今描いているものは自分が今まで普通だと思っていたのに実はマイノリティだったという内容
あまり聞きなれない言い方をするとノンセクシャル、性嫌悪というものであったことに気づいた女性と周りの恋愛の話
これも結構人によるので無自覚で結婚、出産してから気づくなんてこともあるくらいわかりづらいものである
そもそもマイノリティのカテゴリーってLGBT以外のものを目にする機会ほとんどないし
よくセックスレスはよろしくないような言われ方しますが、こういう人間もいるということを知っておくと決して人間関係と性がイコールでないとわかると思います
ノンセクシャルのために普通の人と恋愛出来ない女性教師、同性愛者の職場の先輩、トランスジェンダーの生徒の三人を中心にした恋愛感を描いてみました
これ、50枚でいけるのか?と思いつつそろそろ初稿終わりです
地位向上とまでは言わないけど、セクシャルマイノリティの恋愛というものがもっと一般的で、普通に恋話とか出来る世の中になるような作品つくれたらと思って割と前から用意してたものですが、セクシャルマイノリティに限らず相手を思いやることは大事なので大切な人がいる人は自分勝手にならずその人の幸せを尊重した行動を
その行動は自分の幸せにも繋がるはずだから

と、アラサー独身おやじの独り言でした
中身はまだまだ子供ですが、今年こそは結果出せるよう頑張りたい

キヲク

記憶するメカニズムを学生時代に読んだ本では記録、保存、再生、削除の四つのセクションをレコーダーで例えていた
よく物覚えが悪いという人がいるが、人間の脳の記録の部分は実は個人差がなく、思い出すための再生機能の差であるらしい
うろ覚えという言葉があるように、人間は一瞬でも触れる機会があればなんとなく知っている『ような気がする』ものである
このような気がするのが結局記録機能が正常に機能していることの証明だと思う

それでも何一つ思い出せなくなることはある
所謂、記憶喪失でフィクションではままあるものであるが、実際記憶の一部分が完全に欠落したとして人にどんな影響を与えるか?
もしこれがトラウマを意図的に消すことが出来たら人間はどう変化するのか?

元々はMIBのライトが元ネタなのだけれど、あれを生き物にして人間を振り回していったら面白いかなと思ったのが発端
面識ある人には『ピグモン』のような生物と説明してますがとりあえず人間サイズのマスコット的なイメージ

記憶をなくしても、元々持っている人の本質は消えないということを描けたらいいなと思って
あとコンクール作品に着ぐるみを出したいという個人的な欲望ですね
ヤンシナにピグモンみたいなの出てくるのに内容子供向けなドラマじゃなかったらどういう反応になるのか?
そもそも普通のドラマに着ぐるみいても何の問題もないと思っているし深夜やってる海外ドラマは普通にCGの化け物でてきたりするので、怪獣や宇宙人みたいなのがゴールデンタイムに人間に混ざっていたって問題ないんじゃないかと思ってる
ゴジラエヴァは大人も見てるのにウルトラマンや戦隊が子供のものみたいな風潮はどこかで壊したい
シンウルトラマンはそういう意味で結構期待してます

それでは新年一発目がこんなですが今年も頑張ります

楽しい話題を

プライベートで色々ありまして心配お掛けしてますすいません
まさかあんな多くの人から心配されることが人生であると思わず、自分より怒りを感じていただいてる方には申し訳ない限りです
ああいうとき自分がずれているだけかもしれませんが、怒りより痛みとかパニックで犯人には怒りを抱くべきなんでしょうけどそれにすら至らないほど頭が真っ白になっていました
本人はまだ怪我痛いですが、大事に至ってないので法的なことは警察なりにお任せしたいと思います
悔しくはありますが素人が動いて解決するのは小説や創作物での話だけですし

さて、ヤンシナ準備中です
複数描く人もいるようなのでもし間に合えば2つ出すかもしれません
一つはSFになるのかな?
宇宙人が出て来る話でこちらはほぼストーリーが出来ている状態なのであとは描くだけです
もう一つは候補が2つあり、優秀だが自分勝手な男の挫折とそこから這い上がっていく話か囲碁の話にしたいと思っています

囲碁ってメディアでもあまり話題になることないですがルール把握してる人ってどのくらいいるんですかね?
自分は優勢か不利かはわかりますが最後の計算の仕方がわかりません
少し昔の漫画になりますがヒカルの碁という漫画がありまして、ちょうど自宅に碁石もあったのでよく真似してゲーム機で遊んでました
そう、『ゲーム機』で…
圧倒的に人口が少ないんですよね囲碁って
将棋部なんかはあっても囲碁部なるものは自分の学生時代になかったと記憶しています
あっても将棋部と一緒になっていたかもしれません
囲碁が浸透しづらい理由として自由に置けてしまう故に知識が求められる、時間がかかる辺りにある気はしますがしっかり勉強して挑むと戦略的で面白かったりします
私もやっていたの中学生くらいの頃なのでもうルールとか戦術とかかなり怪しいですが今の発達したゲーム機器以外にも楽しい遊びというのは結構あるんですよ
ちなみにああいった方々の収入面は勝ち負けに関係なく一試合辺りでいただけるそうで、それは勝てば勝つほど試合数=収入が増えるという仕組みのようです
また、試合以外にも地域活性化等の活動もされているようで地方営業のような仕事もあるんだとか
古くからの遊びという文化を残していく仕事は素晴らしいと私は思います
一体世の中の何人が後世まで残るものを残せるんだろう?
私も後世に残せるような作品をつくれる脚本家になりたい

ドライフラワー

先日役者時代の演劇指導の講師の方含めた役者で食事する機会があり『変わらないね』という言葉をかけられた
細部を見たらそれなりに年相応になってはいるがぱっと見の人間性は約6年?で変化していないようである

これをどう受けとるか?
変わることをポジティブに捉えるか、変わらないことを置き去りにされると捉えるか?
テレ朝のサスペンスはそういうテーマで描きました
元々別で描いていたときの内容はかつて絶世の美女が老いでその美しさをなくす前に自殺し、唯一の自信であった今の自分の美しさを剥製というかたちで残すという内容でした
自分の個性を失う恐怖、せめてもの抵抗手段として選んだ死
これをクローズドサークルで犯人探しをするミステリーの予定で用意していたものをサスペンスというジャンルに置き換えました

自分の人生はずっと安定したレールが敷かれ、死ぬまで変わらず約束された未来が約束された人間と生きるために大人に変化しようと足掻く就活生
果たしてどちらが幸せか?
どこまでいっても変わらないというのは立ち止まっているのと感覚的に同じ、変化に取り残されてしまう
そんな恐怖から殺人を犯す犯人というものを描いてみました
テーマは『変わらない恐怖』
就活生にとって就職出来ないまま卒業するのは学生というステータスを失うだけで実質変わらないという部分に焦り、恐怖する
数年そのままの状況が続けば周りは出世し、家庭を持つものも出てくる
そんなとき同じ場所にいつづける人間は何を感じるか?
自分も30になったので周りも結婚しているのが何組かいますが、せっつかれなくても思うところはやはりある
社会的な立場も契約社員なのでこのままなら上がることもない
数年後を考えると焦り、恐怖を感じる程度に若くない
個人的に主人公より犯人目線で共感しやすくて描いてる間病んでましたw

剥製のアイデア自体はちょうど時期的にサイコパス三期が始まり、一期の標本事件の回のあれ(わからない方は是非観てほしい)を使えないかと思ったところがはじまりです
コンペとかの文章って掲載しないほうが多分いいんですよね?
気になる方いたら稚拙な内容でよければ直接送りますんで言ってください色々雑な仕上がりですが

とりあえず疲れました
やはり描くのってエネルギーいりますね

ひとりごと

約10年前、自分の学生時代はmixi全盛期でよくブログで独り言という名の読んだ本の感想やら音楽やら語ってましたが、今は手軽さが重要視されてTwitterなんかの手軽なコンテンツが普及したので有名人以外のブログって見かけなくなりましたね

ふと、思い立ったのはTwitterで吐くには長文で文字数が足りなくなる、タイムライン制圧をしてしまったり不用意に検索に引っ掛かったりで目につかなくてもいい部分で目立つのが嫌ということもあり久々に始めてみました

需要とか求めてませんがあまり発信しない人間なので、普段こんなこと考えてる人間なのか程度に読んでいただけたらと

今三十歳なのですが、二十歳の頃と何が変わったかといえば世間体ですかね
例えば今だとオタク文化って割とサブカルなんて言われてはいますが、10年前ならアキバ系なんて差別的に呼ばれ恥ずかしい趣味として隠してきた人が多かったように思います
同様に『普通』なものまで格上げされればいいのですが、なんだかんだ30というのは世間的にはいい大人で、私はポケモンやら仮面ライダーが未だに好きですが店で買い物すると少し異様な目で見られることもあります

あとは結婚
家族から言われることが世間的には多い印象ですが、独身男性が集まると一度は話題にあがるようになりました
ちなみに私は恋愛自体したくなったからするなんて排泄行為のようなスタンスでないので能動的な恋愛、結婚願望はないです

子供のままじゃいられない
当たり前だけれど大人になることを強いられる
子供からしたら経験豊富な大人は常に上位の存在に感じるが自分がそんな大人になって別に偉くもなんともないって思う
記憶に新しいどこぞの教員のカレー事件然り結構大人だからって頭悪い連中のほうが多い
そんな大人ばかりが世の中を動かしてる

今の子供って何に憧れるんだろうって疑問に思う
例えば昔の特撮ヒーローってきっと子供たちの目標になることも想定してつくられてるけれど、今指標とするものってあるのだろうか?
そう思ってこれからの子供に今より少しでもまともな大人になってほしくてヒーローものの脚本家になりたいって思った
今面白いじゃなくて未来に繋がる作品つくりが出来たらと

昔は一生音楽をやるものだと思っていたのがいつの間にか全く違うところに目標を据えてふらふらしているとは思う
音楽を本気でやらなくなったのは昔聴こえたものが聴こえなくなった、感じなくなったから
トラウマって五感さえ壊す
それでも続けているのはただの未練

10年後、もう少しは大人らしくなってるのかな?
脚本の仕事で生計立てられてたらいいな
音楽は今のバンドなくなったら終わりだろうな
結婚、してなさそうだな
案外人間歳月だけじゃ根本は変わらないみたいだ